雑記、苦言、その他

万葉集朝鮮語説に対する、反論になっていない反論

あけましておめでとうございます。

今年が万葉集の古代朝鮮語による解読の新たなる発展の年になることを願っております。

さて、万葉集朝鮮語説に対する反論として、しばしば安本美典(やすもとびてん)氏の「朝鮮語で「万葉集」は解読できない」が引き合いに出されることがあるのですが、残念ながらこの本はまったく反論になっていません。

安本氏は1955年に話題になった、安田徳太郎の「万葉集の謎」における、万葉集はレプチャ語で読めるという説を引き合いに出していますが、それと万葉集朝鮮語説との区別ができていない点でまったく問題を何も理解していないことが明らかです。

安田徳太郎の「万葉集の謎」は今日入手はきわめて困難だと思われますが、幸いこれを取り上げた貴重なHPがありました。

私たちの先祖 3 〔 万葉集の謎 〕 

これを見ても分かるとおり、安田氏は従来の日本語による万葉集の読みをそのまま採用していて、そこに表れている日本語の単語をレプチャ語と関連付けています。万葉集は単に素材として使われているに過ぎません。

これに対し万葉集朝鮮語説は従来の読みそのものに疑問を投げかけ、漢字で書かれた万葉集の原文を古代朝鮮語によって根本的に読み直しているのです。

万葉集は漢字のみで書かれている、ということはどんなに強調してもしきれないぐらい重要です。

さらに「吏読」という古代朝鮮語を漢字で表す方法が古くからあったという事実。万葉集の歌が書かれた時代に多くの渡来人が古代朝鮮からやって来ているという事実。

私が見る限り、安本氏は李寧煕氏はもちろん、藤村由加、朴炳植(パクピョンシク)氏の本さえも読んではいないと思います(「人麻呂の暗号」のオビだけは読んだようですが)。ちゃんと読んでいればこのような本を書ける訳がありませんから。

万葉集の歌の説明の部分は漢文ですが、歌そのものは漢文ではありません。したがってそのままではこれが何語であるかは分からないのです。「梨壺の五人」以来、これが古代日本語であるという前提で読み解かれて来ました。

しかし巻1の9番の額田王の歌のような未だまったく(古代日本語では)解けない歌、千を越す「枕詞」と名付けられた意味不明の修辞、何とか読み下しても、もやもやしていて何が何だかよく分からない解読の数々。

ところがこれらを古代朝鮮語であるという前提で読み解くと、しばしばはっきりとした意味を持つ歌がよみがえって来ます。とすれば万葉集の歌が古代日本語で書かれているという前提は間違っていたと言えるのではないでしょうか?

ともかくはまずご自分の目で確かめるのが一番です。万葉集の漢字で書かれた原文と、従来の古代日本語による解読とを見比べてください。本当に納得できるでしょうか?

完全に納得できるという方に私は万葉集古代朝鮮語説を押し付ける気はまったくありません。しかし「どうも変だ」と思われる方には李寧煕氏の「もう一つの万葉集」シリーズを読むことをお勧めします。ただし個人的意見としては、まず「枕詞の秘密」をお勧めします。「もう一つの万葉集」はやや荒削りに書かれているように思われるからです。

学問は疑問から始まります。「何か変だ」と思われたら、従来の説を疑ってみましょう。

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もう少し謙虚に

万葉集が朝鮮語で書かれているという説に対して反対する人の意見を見てみると、もちろんもっともだと思うこともあるものの、どうしてああも感情的になるのだろうか。一般人ならともかく、中にはちゃんとした学者もいるのだ。正直理解できない。

天文学者カール・セーガンはその著「コスモス」の中で、ヴェリコフスキー事件というものに触れています。ヴェリコフスキー事件というのはアメリカのヴェリコフスキーという精神科医が1950年に「衝突する宇宙」という本の中で「比較的最近、木星の中から惑星が飛び出して火星や地球に接近した後金星になった。それまで金星はなかった」という説を発表して大騒ぎになった事件です。

このような、今日的にはまったく荒唐無稽な説に対してさえセーガン氏は

「ヴェリコフスキー事件のよくない点は、彼の仮説が間違っているとか、確立された事実に反しているとか言うことではなく、科学者と自称する人たちが、ヴェリコフスキーの研究を抑圧しようとしたことだ。

科学は自由な研究によって進歩して来たし、自由な研究のために存在する。どんなに奇妙な仮説でも、その長所を考えてみよう、というのが科学である。 不快な考えを抑圧することは、宗教や政治の世界にはよくあることかもしれないが、そのようなことは知識を求める人たちのすべきことではない。科学の研究にとっては、あってはならないことである。 誰が基本的に新しいことを考え付くかは、前もっては知り難いのである。

と言っています。しかもセーガンはヴェリコフスキー説を批判する立場にあった人だったということを知っておく必要があるでしょう。

さて「もう一つの万葉集」は「衝突する宇宙」なのか、それとも、、、

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もう一つの万葉集を読む会

最初の記事 でも書いたが、「もう一つの万葉集」の出版後間もなく、「もう一つの万葉集を読む会」という李寧煕氏の後援会のようなものが発足し、会報「記紀・万葉の解読通信」が毎月送られて来た。

私はめでたくも888番という会員番号をもらったのだが、2000人を突破したという会はその後どうしたのか? 外国に住むようになってしまったため、いつ消滅したのかよくわからない。「もう一つの万葉集を読む会」で検索してもほとんどヒットしないし、何だか浦島太郎になったような気分である。

会員の中にはご自身で古代史などに関する本を出版されている方などもおられたし、集団で韓国に旅行したりしてかなり活発に活動していたようなのに、どうしてしまったのか。

会のその後についてご存知の方、私も会員だったという方、ご連絡いただけると嬉しいです。

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掲示板を作りました

「もう一つの万葉集」を考える掲示板、を作りました。

万葉集が古代朝鮮語で書かれているという説に関する話題なら、何でもご自由に書き込んで下さい。

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