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万葉集最後の歌、大伴家持の「新年乃始乃波都波流能」

新年ということで、万葉集の最後を飾る大伴家持の歌、巻20の4516番

新年乃始乃波都波流能家布敷流由伎能伊夜之家餘其騰

を取り上げましょう。

従来訓

「あらたしき としのはじめの はつはるの けふふるゆきの いやしけよごと」

大意

「新しい 年の初めの 初春の 今日降る雪の様に 積もれよ良い事」(日本古典文学全集)

まことに万葉集の最後を飾るにふさわしい、すばらしい歌です。
しかし何だか変に思いませんか?

初めの「新」「年」「始」の3文字は訓読みで、しかも最初の「新」一字を「あらたしき」と5文字にも読んでおいて、「波都波流能」以下は一字一音のいわゆる「万葉仮名」にいきなりチェンジする。
何かある、と思われるのです。

李寧煕氏による解読をご紹介します。



(サラ) 新羅(しらぎ)

(ドゥジ) 咎(とが)め

乃始乃
(ネシネ) お出しになられる

波都
(バト) 防禦(ぼうぎょ)

波流能
(バルヌン) 正す

家布敷流
(ヤ、ポブル) 矢、降り浴びせる

由伎能
(ユキヌン) 靫(ゆき)は・武具は

伊夜之家
(イヤジケ) 続けて作れ

餘其騰
(ヨグドゥ) 夜鍋(よなべ)して


【大意】

新羅征討の旨

お出しなられる。

防備を固め

矢、降り浴びせよう。

靫(ゆき)など武具は

日に夜を継いで作れよ。


この歌が詠まれた天平宝字3年(759年)ころ、新羅との間の緊張が高まり、新羅征討のための準備がなされていたようです。

「歌の但書によれば「三年(天平宝字)春正月一日に因幡国の庁にして饗(あへ)を国郡の司等に賜ふ宴の歌一首」とされています。単なる個人の考えを詠んだものではなく、地方の高位管理者を一堂に集めての公式メッセージとしてうたわれた作なのです。

表向きは祝言、裏向き新羅征討に備える準備の檄(げき)。

それにしても武器作りを「由伎(ゆき)作り」としているところが非常におもしろい点です。」(「記紀万葉の解読通信」第73号より)


靫(ゆき・ゆぎ)とは古代の武具の一つで、矢を入れて背に負う箱型のものです。表向き「雪」と自然を詠んでいるように見せかけて、裏向き武具の意味で使っているのです。実に見事な詠み方ではないでしょうか?

なおこの解読が掲載された「記紀万葉の解読通信」は「もう一つの万葉集を読む会」の会誌ですが、今日入手は不可能です。また寧煕氏の単行本には掲載されておりません。ちょっと残念です。

今回この記事を書くために資料を提供して下さった「李寧煕後援会紹介のHP」の管理者Tsuchiya様に感謝いたします。

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おまけ

越中国守大伴家持ゆかりの高岡市万葉歴史館

 

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コメント

こんばんは、はじめまして、キャロルと申します。去年の9月鳥取の因幡万葉歴史館に行ったんですね。そこは大伴家持をはじめ、万葉の頃の因幡の歴史資料があるんですが、それをきっかけに古代と“大伴家持”について興味を抱くようになりました。万葉歴史館の近くには大伴家持の“新年乃…”の歌碑もあります。最初はただロマンチックだなあと思ってたんですが、新たな事実がわかりました。ありがとうございます。因幡は万葉終焉の地と言われますね。僕は兵庫県に住んでいるんですが、因幡万葉歴史館には40分ほどで行けます。

投稿: キャロル | 2011年2月 6日 (日) 00時52分

  共通語句【降る雪の】を使用した、
次代の藤原北家王朝(雪)の祖・房前を寿ぐ歌(冬相聞)
新しき年の始めの初春の今日【降る雪の】いやしけ寿詞(よごと)  萬葉集 最終歌
   守大伴宿禰家持【(借名の)聖武太上天皇】作る。
   藤皇后、(聖武)天皇に奉る御歌一首
わが背子とふたり見ませば幾ばくかこの【降る雪の】嬉しくあらまし  (巻8・1662)

李寧煕(イヨンヒ)説は、間違っています!

投稿: 吟が気彩 | 2017年5月21日 (日) 12時37分

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