« 2010年12月 | トップページ

2011年1月

万葉集最後の歌、大伴家持の「新年乃始乃波都波流能」

新年ということで、万葉集の最後を飾る大伴家持の歌、巻20の4516番

新年乃始乃波都波流能家布敷流由伎能伊夜之家餘其騰

を取り上げましょう。

従来訓

「あらたしき としのはじめの はつはるの けふふるゆきの いやしけよごと」

大意

「新しい 年の初めの 初春の 今日降る雪の様に 積もれよ良い事」(日本古典文学全集)

まことに万葉集の最後を飾るにふさわしい、すばらしい歌です。
しかし何だか変に思いませんか?

初めの「新」「年」「始」の3文字は訓読みで、しかも最初の「新」一字を「あらたしき」と5文字にも読んでおいて、「波都波流能」以下は一字一音のいわゆる「万葉仮名」にいきなりチェンジする。
何かある、と思われるのです。

李寧煕氏による解読をご紹介します。



(サラ) 新羅(しらぎ)

(ドゥジ) 咎(とが)め

乃始乃
(ネシネ) お出しになられる

波都
(バト) 防禦(ぼうぎょ)

波流能
(バルヌン) 正す

家布敷流
(ヤ、ポブル) 矢、降り浴びせる

由伎能
(ユキヌン) 靫(ゆき)は・武具は

伊夜之家
(イヤジケ) 続けて作れ

餘其騰
(ヨグドゥ) 夜鍋(よなべ)して


【大意】

新羅征討の旨

お出しなられる。

防備を固め

矢、降り浴びせよう。

靫(ゆき)など武具は

日に夜を継いで作れよ。


この歌が詠まれた天平宝字3年(759年)ころ、新羅との間の緊張が高まり、新羅征討のための準備がなされていたようです。

「歌の但書によれば「三年(天平宝字)春正月一日に因幡国の庁にして饗(あへ)を国郡の司等に賜ふ宴の歌一首」とされています。単なる個人の考えを詠んだものではなく、地方の高位管理者を一堂に集めての公式メッセージとしてうたわれた作なのです。

表向きは祝言、裏向き新羅征討に備える準備の檄(げき)。

それにしても武器作りを「由伎(ゆき)作り」としているところが非常におもしろい点です。」(「記紀万葉の解読通信」第73号より)


靫(ゆき・ゆぎ)とは古代の武具の一つで、矢を入れて背に負う箱型のものです。表向き「雪」と自然を詠んでいるように見せかけて、裏向き武具の意味で使っているのです。実に見事な詠み方ではないでしょうか?

なおこの解読が掲載された「記紀万葉の解読通信」は「もう一つの万葉集を読む会」の会誌ですが、今日入手は不可能です。また寧煕氏の単行本には掲載されておりません。ちょっと残念です。

今回この記事を書くために資料を提供して下さった「李寧煕後援会紹介のHP」の管理者Tsuchiya様に感謝いたします。

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ

おまけ

越中国守大伴家持ゆかりの高岡市万葉歴史館

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

万葉集朝鮮語説に対する、反論になっていない反論

あけましておめでとうございます。

今年が万葉集の古代朝鮮語による解読の新たなる発展の年になることを願っております。

さて、万葉集朝鮮語説に対する反論として、しばしば安本美典(やすもとびてん)氏の「朝鮮語で「万葉集」は解読できない」が引き合いに出されることがあるのですが、残念ながらこの本はまったく反論になっていません。

安本氏は1955年に話題になった、安田徳太郎の「万葉集の謎」における、万葉集はレプチャ語で読めるという説を引き合いに出していますが、それと万葉集朝鮮語説との区別ができていない点でまったく問題を何も理解していないことが明らかです。

安田徳太郎の「万葉集の謎」は今日入手はきわめて困難だと思われますが、幸いこれを取り上げた貴重なHPがありました。

私たちの先祖 3 〔 万葉集の謎 〕 

これを見ても分かるとおり、安田氏は従来の日本語による万葉集の読みをそのまま採用していて、そこに表れている日本語の単語をレプチャ語と関連付けています。万葉集は単に素材として使われているに過ぎません。

これに対し万葉集朝鮮語説は従来の読みそのものに疑問を投げかけ、漢字で書かれた万葉集の原文を古代朝鮮語によって根本的に読み直しているのです。

万葉集は漢字のみで書かれている、ということはどんなに強調してもしきれないぐらい重要です。

さらに「吏読」という古代朝鮮語を漢字で表す方法が古くからあったという事実。万葉集の歌が書かれた時代に多くの渡来人が古代朝鮮からやって来ているという事実。

私が見る限り、安本氏は李寧煕氏はもちろん、藤村由加、朴炳植(パクピョンシク)氏の本さえも読んではいないと思います(「人麻呂の暗号」のオビだけは読んだようですが)。ちゃんと読んでいればこのような本を書ける訳がありませんから。

万葉集の歌の説明の部分は漢文ですが、歌そのものは漢文ではありません。したがってそのままではこれが何語であるかは分からないのです。「梨壺の五人」以来、これが古代日本語であるという前提で読み解かれて来ました。

しかし巻1の9番の額田王の歌のような未だまったく(古代日本語では)解けない歌、千を越す「枕詞」と名付けられた意味不明の修辞、何とか読み下しても、もやもやしていて何が何だかよく分からない解読の数々。

ところがこれらを古代朝鮮語であるという前提で読み解くと、しばしばはっきりとした意味を持つ歌がよみがえって来ます。とすれば万葉集の歌が古代日本語で書かれているという前提は間違っていたと言えるのではないでしょうか?

ともかくはまずご自分の目で確かめるのが一番です。万葉集の漢字で書かれた原文と、従来の古代日本語による解読とを見比べてください。本当に納得できるでしょうか?

完全に納得できるという方に私は万葉集古代朝鮮語説を押し付ける気はまったくありません。しかし「どうも変だ」と思われる方には李寧煕氏の「もう一つの万葉集」シリーズを読むことをお勧めします。ただし個人的意見としては、まず「枕詞の秘密」をお勧めします。「もう一つの万葉集」はやや荒削りに書かれているように思われるからです。

学問は疑問から始まります。「何か変だ」と思われたら、従来の説を疑ってみましょう。

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2010年12月 | トップページ