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2010年12月

飛ぶ鳥の明日香

「飛鳥」はなぜ「明日香(あすか)」の枕詞なのか?

昔からいろいろ論じられて来ながら、結論らしきものは得られていないようですが、実は韓国人なら誰でもすぐに分かることではないでしょうか?

「飛ぶ」は韓国語で「ナダ」、この語幹だけを取ると「ナ」になりますが、「ナ には別の言葉で「日」という意味があります。

「鳥」は「セ」。ちょっと韓国語をかじった人なら誰でもご存知でしょう。「ナ」+「セ」で「ナセ」、これに動詞の語尾である「ダ」を付けると「ナセダ」となり、「夜が明ける」という意味になります。また「ナセダ」には別の言葉で「速い」という意味もあります。

つまり「夜が明けて明日になる」ということで、「飛鳥(ナセ)」が「明日香」にかかるのです。「飛鳥」という漢字は「ナセ」という音を表すために使われただけで、「飛ぶ」にも「鳥」にも関係ありません。

ただし「飛鳥明日香」と続いて書かれる万葉集の歌は実際には3つしかないようです。

1巻の78、

飛鳥明日香能里乎置而伊奈婆君之當者不所見香聞安良武

2巻の194

飛鳥明日香乃河之上瀬尓生玉藻者下瀬尓流觸經玉藻成彼依此依靡相之嬬乃命乃多田名附柔<膚>尚乎劔刀於身副不寐者烏玉乃夜床母荒良無所虚故名具鮫<兼>天氣<田>敷藻相屋常念而玉垂乃越<能>大野之旦露尓玉裳者O打夕霧尓衣者<沾>而草枕旅宿鴨為留不相君故

2巻の196

飛鳥明日香乃河之上瀬石橋渡下瀬打橋渡石橋生靡留玉藻毛叙絶者生流打橋生乎為礼流川藻毛叙干者波由流何然毛吾<王><能>立者玉藻之<母>許呂臥者川藻之如久靡相之宣君之朝宮乎忘賜哉夕宮乎背賜哉宇都曽臣跡念之時春都者花折挿頭秋立者黄葉挿頭敷妙之袖携鏡成雖見不Q三五月之益目頬染所念之君与時々幸而遊賜之御食向木P之宮乎常宮跡定賜味澤相目辞毛絶奴然有鴨綾尓憐宿兄鳥之片戀嬬朝鳥徃来為君之夏草乃念之萎而夕星之彼徃此去大船猶預不定見者遣<悶>流情毛不在其故為便知之也音耳母名耳毛不絶天地之弥遠長久思将徃御名尓懸世流明日香河及万代早布屋師吾王乃形見何此焉

194と196は柿本人麻呂の作。また「一云(いちにいわく)」の部分は省略しました。

今のところ李寧煕氏によってこれらの歌は解読されていないようなので、古代朝鮮語でどのような意味になるのかは分かりません。

今回はとりあえずヒントだけということです。

「飛鳥ナセ説」は李御寧(イ・オリョン)氏(元韓国文化大臣)も言っておられますが(次のファイルの19ページ)、
http://www.bunka.go.jp/culturalforum/kako/pdf/2004/forum_02j.pdf

別に李寧煕氏や李御寧氏(この二人の名前よく似てる)でなくても、韓国人なら誰でも気づくと思います。

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追記

「飛鳥」という名称についての膨大な考察のHPがありました。

名称「飛鳥」についての考察


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実はとっくに解読されている万葉集最難読歌「莫囂圓隣」

万葉集最難読歌といわれる、巻1の9、額田王(ぬかたのおほきみ)の歌

莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣吾瀬子之射立為兼五可新

従来の解読では「吾瀬子」以下を「わがせこが いたたせりけむ いつかしがもと」と読み、それより上は解読放棄して、漢字のまま放置されているのが一般的です。

古来多くの人がさまざまな読み方を試みてきたものの、納得できるものはいまだ一つも現われておりません。

一つも?

実は20年ほど前に多分正解と思われる解読が発表されたのですが、それは日本語ではなく古代朝鮮語による解読であったために、一般的には誰も認めようとしていません。せめて数ある解読の試みの一つとしてぐらい取り上げればいいのに、それすらもされていません。

さて、李寧煕氏によればこの歌には表と裏の二重の読みがあるといいます。

表向きは斉明(さいめい)天皇への表敬、裏向きは中大兄皇子(後の天智天皇)、または大海人の皇子(後の天武天皇)とのセックスの対話ということです。


1. 表向きの意味

莫囂(めほる) 水郷(みずごおり)

圓隣之(どんぐりじ) 廻(めぐ)らせよ

大相七兄(くんさしえ) 大城(こにさし)に

爪謁氣(じょありげ) 拝謁(はいえつ)せよ

吾瀬(おら) 来たれ

子之(じゃっし) 城

射立為兼(そいっすに) 立ちにけりに

五可新(おがせ) 行き来せむ

(よろぼん) 幾度(いくたび)

水郷とは飛鳥の岡本宮のことのようです。

これを少し読みを変えることによって、まったく違う意味の歌が現われて来ます。

2. 裏向きの意味

莫囂(まげ) 麻具(まぐ、男性の性器)を

圓隣之(どんぐりじ) 廻(まわ)せよ

大相七兄(くんさちえ) 大股の

爪謁氣(じょっあるげ) 麻具を識らせよ

吾瀬(おら) 来たれ

子之(じゃっし) 麻具

射立為兼(そいっすに) 立ちにけりに

五可新(おがせ) 行き来せむ

(よろぼん) 幾度(いくたび)

唖然とするほど違う歌になってしまいます。

なぜこのような二重の歌を詠んだのかは、額田王と天智天皇、天武天皇との三角関係(?)が背後にあるようですが、詳しくは「もう一つの万葉集」第三章をご覧下さい。

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傑作表記!「馬声蜂音石花蜘蟵荒鹿」

李寧煕氏の万葉集解読の中でもとりわけ見事と言っていいのがこれです。

いや、本当に見事なのは元の歌の方なのでしょうけど。

巻12の2991番の作者不詳歌

垂乳根之母我養蚕乃眉隠馬声蜂音石花蜘
荒鹿異母二不相而

従来訓
「たらちねの ははがかうこの まよごもり いぶせくもあるか いもにあわずして」

大意
「母が飼っている蚕(かいこ)が マユにこもるように、心持が晴れないことである。妹に逢う折がなくて。」(日本古典文学大系)

「馬声」は「い」、「蜂音」は「ぶ」と、擬声語として無理やり読んでいるのですが、そうやってやっと出てきた解釈というのが、ずらずらと虫や動物の名前を並べた表記と何の関連性もありません。

李寧煕氏の解読は次のようです。

垂乳根之 (タラジョッネジ) 垂れまらを出そう
母我養蚕乃
(バガヤヌエネ) はめ込み臥せよう
眉隠馬声
(ミウンマソ) 憎んでは下さるな

蜂音
(ボソ) ちょっとあなた
石花蜘蟵
(イシゴジジョッ) たてつづけまらが
荒鹿 (ゴチロ) 手荒いので
異母(イメ) このほとが
不相而
(ブサンイ) 可哀そう

何と男女の会話体になっているのです。

以下、李寧煕氏の「枕詞の秘密」第一部第二章からそのまま引用させていただきます。

 「さて、この歌の最難訓部分であり、かつ傑作表記でもある「馬声蜂音石花蜘蟵」。
 
 馬の声、蜂の音、石花(韓国語で海の「かき」のこと)、蜘蟵(「くも」のこと)、荒ぶる鹿など動物名をずらりと並べていったい何を詠んでいるのでしょう。前に挙げている蚕まであわせると、この歌には全部で六種類もの動物が登場します。しかも全部強壮剤、強壮食品として名高い、またはセックスに強い動物ばかり。
馬はもちろんのこと、女王蜂や女郎蜘蛛(ぐも)は雌対雄が一対うん十、うん百のセックスの女王たち。それにローヤル・ゼリー、鹿茸(ろくじょう)、牡蠣(かき)、蚕のさなぎにいたるまで強壮剤・強壮食品ばかり(韓国では今でも蒸した蚕のさなぎをよく食べます)です。

 この文字の使いようでよく分かるとおり、作者は激しい性愛行為を描写しているのです。

 (中略)

 「蜂音」。これは「ボソ」、「ちょっと、あなた」という呼びかけのことばです。直訳すると「見て下さい」。今でも使われていることばで、夫婦の間でよく交換されます。現代風になおせば、「ボセヨ」、「ヨボ」など。韓国語をお習いの方はよくご存知のことばです。」

 (引用ここまで)

詳しくは「枕詞の秘密」を見ていただくとして、漢字の表記と歌の内容とが見事に一体となっていますね。また「石花」が貝の「かき」であることは普通の韓日辞典に載っています。

この李寧煕氏の解読と従来の解読を比べてみて、それでも李寧煕説が100パーセントデタラメだ、コジツケだと言う人は、言葉の理解力が欠如しているのでしょうから、万葉集についてあれこれ言うのはやめた方がいいでしょう。

それにしても、この歌を解読した人はどうにもこうにも読めなくて、馬のいななき(イイーン?)、蜂の飛ぶ音(ブーン)まで持ち出して、何とかかろうじて意味のある歌を搾り出したのですから、それはそれで賞賛に値するかもしれません。

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参考ウェブページ(青空文庫)

橋本進吉

「駒のいななき」

追記

「馬声」とか「蜂音」で検索するとこの記事が上位に表示されて、ありがたいことです。

一日も早く「いぶせくもあるか」などというバカバカしい解読に替わって、本当の意味が広まって行くことを願っています。

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「夜はいかに継ぐるよ」~万葉古代演歌

李寧煕氏による万葉集解読の中でも、とりわけ美しいものの一つ。

巻2の116番、但馬皇女(たじまのひめみこ)の歌。

人事乎繁美許知痛美己世尓未渡朝川渡

従来訓は「ひとごとを しげみこちたみ おのがよに いまだわたらぬ あさかはわたる」で、大意は「人の噂があれこれひどいので、自分が生まれて未だ渡ったこともない朝の川を渡ることである。」(日本古典文学大系)という訳のわからないものです。

これを古代朝鮮語で読むと、すばらしい歌がよみがえります。

人事乎(ビトジオ) 日の出よ

繁美(バミ) 夜は

許知(オチ) いかに

痛美(イタミ) 継ぐるよ

(イミ) もはや

世尓(セニ) 夜明け

(イミ) 君が(あのお方が)

(ガネ) 行くよ

朝川
(アサネ) 奪われて

(ガネ) 行くよ


~大意~

日の出よ。

夜はどうすれば継げるものでしょう。

もう夜明けです。

君は(あのお方は)行かれてしまうのです。

日の出が君を奪って行くのです。


特に後半の「イミ セニ イミ ガネ アサネ ガネ」の口調の良さに注目して下さい。

詳しくは「枕詞の秘密」第二部第一章をご覧下さい。

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古代史はにぎやか

日本の7世紀以前(西暦700年ごろより前)というのは本当にわからない世界ですね。

邪馬台国がどこにあるか未だにわからない。まあ普通に考えて九州のどこかでしょうけど、最近ではあたかも畿内説で決定みたいな事が言われたりしています。

聖徳太子が実在しなかったというのはもはや定説のように言われています。

ある人が聖徳太子=蘇我馬子=天皇(大王)と言っているのを見て、なるほどと思ってしまいました。聖徳太子は厩戸皇子(うまやどのおうじ)と呼ばれていましたし、「馬子」と「厩戸」で「うまが合う」ではありませんか。日本書紀は歴史を改ざんしているといわれますが、案外正直にこんな推理のヒントを残しているのかもしれません。

李寧煕氏は、第十四代の仲哀天皇と第四十代の天武天皇とが関係あるのではないかと言っています。

こういった説の中に「万葉集古代朝鮮語説」が入っていたって、別に何もおかしくないと思いますが、他の説ならば反論されたり批判されたりすることはあっても、説を唱えたからといって罵倒されることはありません。ところが「万葉集古代朝鮮語説」は唱えるだけで罵倒されるのですね。何かおかしくないですか?

頭から「万葉集は日本語である」と決め付けてかかるというのは、頭から邪馬台国は畿内である、あるいは九州であると決め付けることと同じで、まったく非学問的なことなんですけどね。

もう少し冷静に考え直してみてはいかがでしょうか?

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万葉集冒頭歌は雄略天皇の即位宣言

籠もよ み籠持ち 堀串もよ み堀串持ち
(こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち)

で始まる、万葉集の冒頭を飾る雄略天皇の歌。

また「もう一つの万葉集」の冒頭を飾る歌でもあります。

籠毛與美籠母乳布久思毛與美夫君志持此岳尓菜採須兒家吉閑名々告紗根虚見津山跡乃國者押奈戸手吾許曾居師吉名倍手吾己曾座我許背齒告目家呼毛名雄母

この歌は籠(かご)とふくし(へら)を持って、菜を摘んでいる女性に声をかけた(求婚した)歌とされていますが、李寧煕氏はこれを雄略天皇の即位宣言として次のように読んでいます。

籠毛與 (こむいよ)   貊(こま)よ

美籠母乳 (みこむち)   瑞穂(みずほ)の貊たちよ

布久思毛與 (ぼっくそいよ)   復旧(ぼっく)島よ

美夫君志持 (みぼっくそち)   瑞穂の復旧島の者たちよ

此岳尓 (いおんどえ)   この丘に

菜採須兒 (なたらそご)   私は(先代と)並び立ち

家吉閑名 (いえじかな)   ここに家を作り

々告紗根 (なにろさね)   告げて住もうと思う

虚見津 (さろみちゅ)   斯盧弥鄒(さろみつ)

山跡乃國者 (やまとねならしゃ)   やまとの国は

押奈戸手 (ぬろのはそ)   押さえおきて

吾許曾居 (なおじいっこ)   統治者は私一人である

師吉名倍手 (しじゅぬべそ)   鎮めねかして

吾己曾座 (なもそあんじゃ)   私は自(みずか)ら位(くらい)に就く

我許背齒 (なおそわ)   私は急ぎ来て

告目 (にるも)   告げる

家呼毛名雄母 (いえおもなおも)   ここに来る 出て来ると

貊(こま)とは、狭義には高句麗人を指したようですが、広義には百済人、伽耶人、新羅人をも含む、朝鮮半島の人の総称だということです。

また復旧(ぼっく)島とは日本のことです。

斯盧弥鄒(さろみつ)とは、斯盧は新羅、弥鄒は弥鄒忽(みちゅほる)国すなわち沸流百済(びりゅくだら)のこと。この弥鄒忽(みちゅほる)国が日本に進出して立てた国が「瑞穂(みずほ)の国」であるようです。

さらに詳しい解説は「もう一つの万葉集」を見ていただくとして、おもしろいことに、この歌の李寧煕氏の解読は他の歌の解読ほどには非難を浴びていないようです。

おそらくこの解読が、万葉集の冒頭を飾るにふさわしいと誰にでも思わせるものがあるからでしょう。

大体「こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち」なんて、どうも不自然で、「ほんまかいな?」と思ってしまいませんか?

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本格的な万葉集の発掘調査を

正直言いまして、私のような素人には万葉集を自分で読み解くことはほとんど不可能です。

だからこそ言語や歴史などの専門家に期待するのですが、情けないことに「万葉集は朝鮮語であるはずがない」との大合唱。一番情けないのは朝鮮語の専門家までそんなことを言っていることで、古代朝鮮語の大宝庫が目の前にありながら、李寧煕氏の解読にけちを付けているだけなんて。

そりゃあ、1000年の長きにわたって日本語だと信じられ続けてきた万葉集(それに日本書紀、古事記など)がいきなり実は朝鮮語だったと言われても、急に方向転換するのは無理なのはわかっているけれど、やはりわれわれは真実が知りたいわけで、専門家はそれに答える義務があると思います。

万葉集は開かれた古墳です。どんどん発掘調査して下さい。

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百済・高句麗の滅亡と万葉集

万葉集が書かれた時期は激動の時代だった。

西暦660年に百済が滅亡し、663年に白村江の戦いで、倭国・百済遺民の連合軍が、唐・新羅連合軍に敗れる。668年には高句麗が滅亡する。大量の百済・高句麗の王侯貴族や知識人や職人達が日本列島に亡命してく来る。その数、何千人とも何十万人とも言われる。

そういう時期に万葉集は書かれている。

山上憶良も百済の出身だといわれている(一説では4歳の時父とともに日本列島に渡って来たとも)。万葉集の歌人の中には、はっきりと渡来人だと書かれている者もいる。それも日本の権威ある万葉研究家が言っているのである。

万葉集の中に百済語や高句麗語などで書かれた歌がたくさん入っていたとしても何の不思議もないどころか、当然なことではないか。

それなのに、万葉集は朝鮮語で書かれていないとか、読めないとか、古代朝鮮語の資料はほとんどないので読めるわけがないとか、あまりにも簡単に決め付ける人が多い。

このような人たちは古代の渡来人にまで日本語を押し付けたいのかなあ、と思ってしまう。

7世紀以前の日本列島および朝鮮半島は、今日の日本および韓国・朝鮮とは違うのである。今日の国境感覚で考えてはならない。

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