「もう一つの万葉集」について

  Manyousyu_6 1989年に文芸春秋社から出版された韓国の作家、李寧煕(イ・ヨンヒ)氏の「もう一つの万葉集」は、万葉集を古代朝鮮語で解読するというもので、従来の解読とはかけ離れた内容で大きな反響を巻き起こし、また大きな反発も食らいました。

続いて「枕詞の秘密」「天武と持統」「日本語の真相」「甦(よみがえ)る万葉集」「怕(おそ)ろしき物の歌」など、シリーズとなり出版されましたが、その後どれも絶版となってしまいました。

「もう一つの万葉集」が出版されて間もなく、「もう一つの万葉集を読む会」という李寧煕氏の後援会のようなものが発足され、会誌「記紀・万葉の解読通信」が発行されました。しかしこの会もいつの間にか消滅してしまったようです。

インターネット上では「もう一つの万葉集」に関する記事はちらほらあるだけで、このままではせっかくの李寧煕氏のすぐれた提案も立ち消えになってしまうのではないかと心配しております。

私は現代韓国語が片言できるだけで、言語学、古典文学、古代史など、どれにおいても素人に過ぎませんが、この問題に少しでも関心を持ってもらおうと、このブログを作りました。また自由に書き込める掲示板も作りました。

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万葉集最後の歌、大伴家持の「新年乃始乃波都波流能」

新年ということで、万葉集の最後を飾る大伴家持の歌、巻20の4516番

新年乃始乃波都波流能家布敷流由伎能伊夜之家餘其騰

を取り上げましょう。

従来訓

「あらたしき としのはじめの はつはるの けふふるゆきの いやしけよごと」

大意

「新しい 年の初めの 初春の 今日降る雪の様に 積もれよ良い事」(日本古典文学全集)

まことに万葉集の最後を飾るにふさわしい、すばらしい歌です。
しかし何だか変に思いませんか?

初めの「新」「年」「始」の3文字は訓読みで、しかも最初の「新」一字を「あらたしき」と5文字にも読んでおいて、「波都波流能」以下は一字一音のいわゆる「万葉仮名」にいきなりチェンジする。
何かある、と思われるのです。

李寧煕氏による解読をご紹介します。



(サラ) 新羅(しらぎ)

(ドゥジ) 咎(とが)め

乃始乃
(ネシネ) お出しになられる

波都
(バト) 防禦(ぼうぎょ)

波流能
(バルヌン) 正す

家布敷流
(ヤ、ポブル) 矢、降り浴びせる

由伎能
(ユキヌン) 靫(ゆき)は・武具は

伊夜之家
(イヤジケ) 続けて作れ

餘其騰
(ヨグドゥ) 夜鍋(よなべ)して


【大意】

新羅征討の旨

お出しなられる。

防備を固め

矢、降り浴びせよう。

靫(ゆき)など武具は

日に夜を継いで作れよ。


この歌が詠まれた天平宝字3年(759年)ころ、新羅との間の緊張が高まり、新羅征討のための準備がなされていたようです。

「歌の但書によれば「三年(天平宝字)春正月一日に因幡国の庁にして饗(あへ)を国郡の司等に賜ふ宴の歌一首」とされています。単なる個人の考えを詠んだものではなく、地方の高位管理者を一堂に集めての公式メッセージとしてうたわれた作なのです。

表向きは祝言、裏向き新羅征討に備える準備の檄(げき)。

それにしても武器作りを「由伎(ゆき)作り」としているところが非常におもしろい点です。」(「記紀万葉の解読通信」第73号より)


靫(ゆき・ゆぎ)とは古代の武具の一つで、矢を入れて背に負う箱型のものです。表向き「雪」と自然を詠んでいるように見せかけて、裏向き武具の意味で使っているのです。実に見事な詠み方ではないでしょうか?

なおこの解読が掲載された「記紀万葉の解読通信」は「もう一つの万葉集を読む会」の会誌ですが、今日入手は不可能です。また寧煕氏の単行本には掲載されておりません。ちょっと残念です。

今回この記事を書くために資料を提供して下さった「李寧煕後援会紹介のHP」の管理者Tsuchiya様に感謝いたします。

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おまけ

越中国守大伴家持ゆかりの高岡市万葉歴史館

 

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万葉集朝鮮語説に対する、反論になっていない反論

あけましておめでとうございます。

今年が万葉集の古代朝鮮語による解読の新たなる発展の年になることを願っております。

さて、万葉集朝鮮語説に対する反論として、しばしば安本美典(やすもとびてん)氏の「朝鮮語で「万葉集」は解読できない」が引き合いに出されることがあるのですが、残念ながらこの本はまったく反論になっていません。

安本氏は1955年に話題になった、安田徳太郎の「万葉集の謎」における、万葉集はレプチャ語で読めるという説を引き合いに出していますが、それと万葉集朝鮮語説との区別ができていない点でまったく問題を何も理解していないことが明らかです。

安田徳太郎の「万葉集の謎」は今日入手はきわめて困難だと思われますが、幸いこれを取り上げた貴重なHPがありました。

私たちの先祖 3 〔 万葉集の謎 〕 

これを見ても分かるとおり、安田氏は従来の日本語による万葉集の読みをそのまま採用していて、そこに表れている日本語の単語をレプチャ語と関連付けています。万葉集は単に素材として使われているに過ぎません。

これに対し万葉集朝鮮語説は従来の読みそのものに疑問を投げかけ、漢字で書かれた万葉集の原文を古代朝鮮語によって根本的に読み直しているのです。

万葉集は漢字のみで書かれている、ということはどんなに強調してもしきれないぐらい重要です。

さらに「吏読」という古代朝鮮語を漢字で表す方法が古くからあったという事実。万葉集の歌が書かれた時代に多くの渡来人が古代朝鮮からやって来ているという事実。

私が見る限り、安本氏は李寧煕氏はもちろん、藤村由加、朴炳植(パクピョンシク)氏の本さえも読んではいないと思います(「人麻呂の暗号」のオビだけは読んだようですが)。ちゃんと読んでいればこのような本を書ける訳がありませんから。

万葉集の歌の説明の部分は漢文ですが、歌そのものは漢文ではありません。したがってそのままではこれが何語であるかは分からないのです。「梨壺の五人」以来、これが古代日本語であるという前提で読み解かれて来ました。

しかし巻1の9番の額田王の歌のような未だまったく(古代日本語では)解けない歌、千を越す「枕詞」と名付けられた意味不明の修辞、何とか読み下しても、もやもやしていて何が何だかよく分からない解読の数々。

ところがこれらを古代朝鮮語であるという前提で読み解くと、しばしばはっきりとした意味を持つ歌がよみがえって来ます。とすれば万葉集の歌が古代日本語で書かれているという前提は間違っていたと言えるのではないでしょうか?

ともかくはまずご自分の目で確かめるのが一番です。万葉集の漢字で書かれた原文と、従来の古代日本語による解読とを見比べてください。本当に納得できるでしょうか?

完全に納得できるという方に私は万葉集古代朝鮮語説を押し付ける気はまったくありません。しかし「どうも変だ」と思われる方には李寧煕氏の「もう一つの万葉集」シリーズを読むことをお勧めします。ただし個人的意見としては、まず「枕詞の秘密」をお勧めします。「もう一つの万葉集」はやや荒削りに書かれているように思われるからです。

学問は疑問から始まります。「何か変だ」と思われたら、従来の説を疑ってみましょう。

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飛ぶ鳥の明日香

「飛鳥」はなぜ「明日香(あすか)」の枕詞なのか?

昔からいろいろ論じられて来ながら、結論らしきものは得られていないようですが、実は韓国人なら誰でもすぐに分かることではないでしょうか?

「飛ぶ」は韓国語で「ナダ」、この語幹だけを取ると「ナ」になりますが、「ナ には別の言葉で「日」という意味があります。

「鳥」は「セ」。ちょっと韓国語をかじった人なら誰でもご存知でしょう。「ナ」+「セ」で「ナセ」、これに動詞の語尾である「ダ」を付けると「ナセダ」となり、「夜が明ける」という意味になります。また「ナセダ」には別の言葉で「速い」という意味もあります。

つまり「夜が明けて明日になる」ということで、「飛鳥(ナセ)」が「明日香」にかかるのです。「飛鳥」という漢字は「ナセ」という音を表すために使われただけで、「飛ぶ」にも「鳥」にも関係ありません。

ただし「飛鳥明日香」と続いて書かれる万葉集の歌は実際には3つしかないようです。

1巻の78、

飛鳥明日香能里乎置而伊奈婆君之當者不所見香聞安良武

2巻の194

飛鳥明日香乃河之上瀬尓生玉藻者下瀬尓流觸經玉藻成彼依此依靡相之嬬乃命乃多田名附柔<膚>尚乎劔刀於身副不寐者烏玉乃夜床母荒良無所虚故名具鮫<兼>天氣<田>敷藻相屋常念而玉垂乃越<能>大野之旦露尓玉裳者O打夕霧尓衣者<沾>而草枕旅宿鴨為留不相君故

2巻の196

飛鳥明日香乃河之上瀬石橋渡下瀬打橋渡石橋生靡留玉藻毛叙絶者生流打橋生乎為礼流川藻毛叙干者波由流何然毛吾<王><能>立者玉藻之<母>許呂臥者川藻之如久靡相之宣君之朝宮乎忘賜哉夕宮乎背賜哉宇都曽臣跡念之時春都者花折挿頭秋立者黄葉挿頭敷妙之袖携鏡成雖見不Q三五月之益目頬染所念之君与時々幸而遊賜之御食向木P之宮乎常宮跡定賜味澤相目辞毛絶奴然有鴨綾尓憐宿兄鳥之片戀嬬朝鳥徃来為君之夏草乃念之萎而夕星之彼徃此去大船猶預不定見者遣<悶>流情毛不在其故為便知之也音耳母名耳毛不絶天地之弥遠長久思将徃御名尓懸世流明日香河及万代早布屋師吾王乃形見何此焉

194と196は柿本人麻呂の作。また「一云(いちにいわく)」の部分は省略しました。

今のところ李寧煕氏によってこれらの歌は解読されていないようなので、古代朝鮮語でどのような意味になるのかは分かりません。

今回はとりあえずヒントだけということです。

「飛鳥ナセ説」は李御寧(イ・オリョン)氏(元韓国文化大臣)も言っておられますが(次のファイルの19ページ)、
http://www.bunka.go.jp/culturalforum/kako/pdf/2004/forum_02j.pdf

別に李寧煕氏や李御寧氏(この二人の名前よく似てる)でなくても、韓国人なら誰でも気づくと思います。

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追記

「飛鳥」という名称についての膨大な考察のHPがありました。

名称「飛鳥」についての考察


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実はとっくに解読されている万葉集最難読歌「莫囂圓隣」

万葉集最難読歌といわれる、巻1の9、額田王(ぬかたのおほきみ)の歌

莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣吾瀬子之射立為兼五可新

従来の解読では「吾瀬子」以下を「わがせこが いたたせりけむ いつかしがもと」と読み、それより上は解読放棄して、漢字のまま放置されているのが一般的です。

古来多くの人がさまざまな読み方を試みてきたものの、納得できるものはいまだ一つも現われておりません。

一つも?

実は20年ほど前に多分正解と思われる解読が発表されたのですが、それは日本語ではなく古代朝鮮語による解読であったために、一般的には誰も認めようとしていません。せめて数ある解読の試みの一つとしてぐらい取り上げればいいのに、それすらもされていません。

さて、李寧煕氏によればこの歌には表と裏の二重の読みがあるといいます。

表向きは斉明(さいめい)天皇への表敬、裏向きは中大兄皇子(後の天智天皇)、または大海人の皇子(後の天武天皇)とのセックスの対話ということです。


1. 表向きの意味

莫囂(めほる) 水郷(みずごおり)

圓隣之(どんぐりじ) 廻(めぐ)らせよ

大相七兄(くんさしえ) 大城(こにさし)に

爪謁氣(じょありげ) 拝謁(はいえつ)せよ

吾瀬(おら) 来たれ

子之(じゃっし) 城

射立為兼(そいっすに) 立ちにけりに

五可新(おがせ) 行き来せむ

(よろぼん) 幾度(いくたび)

水郷とは飛鳥の岡本宮のことのようです。

これを少し読みを変えることによって、まったく違う意味の歌が現われて来ます。

2. 裏向きの意味

莫囂(まげ) 麻具(まぐ、男性の性器)を

圓隣之(どんぐりじ) 廻(まわ)せよ

大相七兄(くんさちえ) 大股の

爪謁氣(じょっあるげ) 麻具を識らせよ

吾瀬(おら) 来たれ

子之(じゃっし) 麻具

射立為兼(そいっすに) 立ちにけりに

五可新(おがせ) 行き来せむ

(よろぼん) 幾度(いくたび)

唖然とするほど違う歌になってしまいます。

なぜこのような二重の歌を詠んだのかは、額田王と天智天皇、天武天皇との三角関係(?)が背後にあるようですが、詳しくは「もう一つの万葉集」第三章をご覧下さい。

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傑作表記!「馬声蜂音石花蜘蟵荒鹿」

李寧煕氏の万葉集解読の中でもとりわけ見事と言っていいのがこれです。

いや、本当に見事なのは元の歌の方なのでしょうけど。

巻12の2991番の作者不詳歌

垂乳根之母我養蚕乃眉隠馬声蜂音石花蜘
荒鹿異母二不相而

従来訓
「たらちねの ははがかうこの まよごもり いぶせくもあるか いもにあわずして」

大意
「母が飼っている蚕(かいこ)が マユにこもるように、心持が晴れないことである。妹に逢う折がなくて。」(日本古典文学大系)

「馬声」は「い」、「蜂音」は「ぶ」と、擬声語として無理やり読んでいるのですが、そうやってやっと出てきた解釈というのが、ずらずらと虫や動物の名前を並べた表記と何の関連性もありません。

李寧煕氏の解読は次のようです。

垂乳根之 (タラジョッネジ) 垂れまらを出そう
母我養蚕乃
(バガヤヌエネ) はめ込み臥せよう
眉隠馬声
(ミウンマソ) 憎んでは下さるな

蜂音
(ボソ) ちょっとあなた
石花蜘蟵
(イシゴジジョッ) たてつづけまらが
荒鹿 (ゴチロ) 手荒いので
異母(イメ) このほとが
不相而
(ブサンイ) 可哀そう

何と男女の会話体になっているのです。

以下、李寧煕氏の「枕詞の秘密」第一部第二章からそのまま引用させていただきます。

 「さて、この歌の最難訓部分であり、かつ傑作表記でもある「馬声蜂音石花蜘蟵」。
 
 馬の声、蜂の音、石花(韓国語で海の「かき」のこと)、蜘蟵(「くも」のこと)、荒ぶる鹿など動物名をずらりと並べていったい何を詠んでいるのでしょう。前に挙げている蚕まであわせると、この歌には全部で六種類もの動物が登場します。しかも全部強壮剤、強壮食品として名高い、またはセックスに強い動物ばかり。
馬はもちろんのこと、女王蜂や女郎蜘蛛(ぐも)は雌対雄が一対うん十、うん百のセックスの女王たち。それにローヤル・ゼリー、鹿茸(ろくじょう)、牡蠣(かき)、蚕のさなぎにいたるまで強壮剤・強壮食品ばかり(韓国では今でも蒸した蚕のさなぎをよく食べます)です。

 この文字の使いようでよく分かるとおり、作者は激しい性愛行為を描写しているのです。

 (中略)

 「蜂音」。これは「ボソ」、「ちょっと、あなた」という呼びかけのことばです。直訳すると「見て下さい」。今でも使われていることばで、夫婦の間でよく交換されます。現代風になおせば、「ボセヨ」、「ヨボ」など。韓国語をお習いの方はよくご存知のことばです。」

 (引用ここまで)

詳しくは「枕詞の秘密」を見ていただくとして、漢字の表記と歌の内容とが見事に一体となっていますね。また「石花」が貝の「かき」であることは普通の韓日辞典に載っています。

この李寧煕氏の解読と従来の解読を比べてみて、それでも李寧煕説が100パーセントデタラメだ、コジツケだと言う人は、言葉の理解力が欠如しているのでしょうから、万葉集についてあれこれ言うのはやめた方がいいでしょう。

それにしても、この歌を解読した人はどうにもこうにも読めなくて、馬のいななき(イイーン?)、蜂の飛ぶ音(ブーン)まで持ち出して、何とかかろうじて意味のある歌を搾り出したのですから、それはそれで賞賛に値するかもしれません。

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参考ウェブページ(青空文庫)

橋本進吉

「駒のいななき」

追記

「馬声」とか「蜂音」で検索するとこの記事が上位に表示されて、ありがたいことです。

一日も早く「いぶせくもあるか」などというバカバカしい解読に替わって、本当の意味が広まって行くことを願っています。

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「夜はいかに継ぐるよ」~万葉古代演歌

李寧煕氏による万葉集解読の中でも、とりわけ美しいものの一つ。

巻2の116番、但馬皇女(たじまのひめみこ)の歌。

人事乎繁美許知痛美己世尓未渡朝川渡

従来訓は「ひとごとを しげみこちたみ おのがよに いまだわたらぬ あさかはわたる」で、大意は「人の噂があれこれひどいので、自分が生まれて未だ渡ったこともない朝の川を渡ることである。」(日本古典文学大系)という訳のわからないものです。

これを古代朝鮮語で読むと、すばらしい歌がよみがえります。

人事乎(ビトジオ) 日の出よ

繁美(バミ) 夜は

許知(オチ) いかに

痛美(イタミ) 継ぐるよ

(イミ) もはや

世尓(セニ) 夜明け

(イミ) 君が(あのお方が)

(ガネ) 行くよ

朝川
(アサネ) 奪われて

(ガネ) 行くよ


~大意~

日の出よ。

夜はどうすれば継げるものでしょう。

もう夜明けです。

君は(あのお方は)行かれてしまうのです。

日の出が君を奪って行くのです。


特に後半の「イミ セニ イミ ガネ アサネ ガネ」の口調の良さに注目して下さい。

詳しくは「枕詞の秘密」第二部第一章をご覧下さい。

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古代史はにぎやか

日本の7世紀以前(西暦700年ごろより前)というのは本当にわからない世界ですね。

邪馬台国がどこにあるか未だにわからない。まあ普通に考えて九州のどこかでしょうけど、最近ではあたかも畿内説で決定みたいな事が言われたりしています。

聖徳太子が実在しなかったというのはもはや定説のように言われています。

ある人が聖徳太子=蘇我馬子=天皇(大王)と言っているのを見て、なるほどと思ってしまいました。聖徳太子は厩戸皇子(うまやどのおうじ)と呼ばれていましたし、「馬子」と「厩戸」で「うまが合う」ではありませんか。日本書紀は歴史を改ざんしているといわれますが、案外正直にこんな推理のヒントを残しているのかもしれません。

李寧煕氏は、第十四代の仲哀天皇と第四十代の天武天皇とが関係あるのではないかと言っています。

こういった説の中に「万葉集古代朝鮮語説」が入っていたって、別に何もおかしくないと思いますが、他の説ならば反論されたり批判されたりすることはあっても、説を唱えたからといって罵倒されることはありません。ところが「万葉集古代朝鮮語説」は唱えるだけで罵倒されるのですね。何かおかしくないですか?

頭から「万葉集は日本語である」と決め付けてかかるというのは、頭から邪馬台国は畿内である、あるいは九州であると決め付けることと同じで、まったく非学問的なことなんですけどね。

もう少し冷静に考え直してみてはいかがでしょうか?

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万葉集冒頭歌は雄略天皇の即位宣言

籠もよ み籠持ち 堀串もよ み堀串持ち
(こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち)

で始まる、万葉集の冒頭を飾る雄略天皇の歌。

また「もう一つの万葉集」の冒頭を飾る歌でもあります。

籠毛與美籠母乳布久思毛與美夫君志持此岳尓菜採須兒家吉閑名々告紗根虚見津山跡乃國者押奈戸手吾許曾居師吉名倍手吾己曾座我許背齒告目家呼毛名雄母

この歌は籠(かご)とふくし(へら)を持って、菜を摘んでいる女性に声をかけた(求婚した)歌とされていますが、李寧煕氏はこれを雄略天皇の即位宣言として次のように読んでいます。

籠毛與 (こむいよ)   貊(こま)よ

美籠母乳 (みこむち)   瑞穂(みずほ)の貊たちよ

布久思毛與 (ぼっくそいよ)   復旧(ぼっく)島よ

美夫君志持 (みぼっくそち)   瑞穂の復旧島の者たちよ

此岳尓 (いおんどえ)   この丘に

菜採須兒 (なたらそご)   私は(先代と)並び立ち

家吉閑名 (いえじかな)   ここに家を作り

々告紗根 (なにろさね)   告げて住もうと思う

虚見津 (さろみちゅ)   斯盧弥鄒(さろみつ)

山跡乃國者 (やまとねならしゃ)   やまとの国は

押奈戸手 (ぬろのはそ)   押さえおきて

吾許曾居 (なおじいっこ)   統治者は私一人である

師吉名倍手 (しじゅぬべそ)   鎮めねかして

吾己曾座 (なもそあんじゃ)   私は自(みずか)ら位(くらい)に就く

我許背齒 (なおそわ)   私は急ぎ来て

告目 (にるも)   告げる

家呼毛名雄母 (いえおもなおも)   ここに来る 出て来ると

貊(こま)とは、狭義には高句麗人を指したようですが、広義には百済人、伽耶人、新羅人をも含む、朝鮮半島の人の総称だということです。

また復旧(ぼっく)島とは日本のことです。

斯盧弥鄒(さろみつ)とは、斯盧は新羅、弥鄒は弥鄒忽(みちゅほる)国すなわち沸流百済(びりゅくだら)のこと。この弥鄒忽(みちゅほる)国が日本に進出して立てた国が「瑞穂(みずほ)の国」であるようです。

さらに詳しい解説は「もう一つの万葉集」を見ていただくとして、おもしろいことに、この歌の李寧煕氏の解読は他の歌の解読ほどには非難を浴びていないようです。

おそらくこの解読が、万葉集の冒頭を飾るにふさわしいと誰にでも思わせるものがあるからでしょう。

大体「こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち」なんて、どうも不自然で、「ほんまかいな?」と思ってしまいませんか?

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本格的な万葉集の発掘調査を

正直言いまして、私のような素人には万葉集を自分で読み解くことはほとんど不可能です。

だからこそ言語や歴史などの専門家に期待するのですが、情けないことに「万葉集は朝鮮語であるはずがない」との大合唱。一番情けないのは朝鮮語の専門家までそんなことを言っていることで、古代朝鮮語の大宝庫が目の前にありながら、李寧煕氏の解読にけちを付けているだけなんて。

そりゃあ、1000年の長きにわたって日本語だと信じられ続けてきた万葉集(それに日本書紀、古事記など)がいきなり実は朝鮮語だったと言われても、急に方向転換するのは無理なのはわかっているけれど、やはりわれわれは真実が知りたいわけで、専門家はそれに答える義務があると思います。

万葉集は開かれた古墳です。どんどん発掘調査して下さい。

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百済・高句麗の滅亡と万葉集

万葉集が書かれた時期は激動の時代だった。

西暦660年に百済が滅亡し、663年に白村江の戦いで、倭国・百済遺民の連合軍が、唐・新羅連合軍に敗れる。668年には高句麗が滅亡する。大量の百済・高句麗の王侯貴族や知識人や職人達が日本列島に亡命してく来る。その数、何千人とも何十万人とも言われる。

そういう時期に万葉集は書かれている。

山上憶良も百済の出身だといわれている(一説では4歳の時父とともに日本列島に渡って来たとも)。万葉集の歌人の中には、はっきりと渡来人だと書かれている者もいる。それも日本の権威ある万葉研究家が言っているのである。

万葉集の中に百済語や高句麗語などで書かれた歌がたくさん入っていたとしても何の不思議もないどころか、当然なことではないか。

それなのに、万葉集は朝鮮語で書かれていないとか、読めないとか、古代朝鮮語の資料はほとんどないので読めるわけがないとか、あまりにも簡単に決め付ける人が多い。

このような人たちは古代の渡来人にまで日本語を押し付けたいのかなあ、と思ってしまう。

7世紀以前の日本列島および朝鮮半島は、今日の日本および韓国・朝鮮とは違うのである。今日の国境感覚で考えてはならない。

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枕詞「あしひきの」は実は「枕」?

いわゆる「枕詞」(まくらことば)と言われるものの中で「あしひきの」は、万葉集の中に百例以上あって一番多いらしいのですが、それが何と古代朝鮮語で「枕」を意味する言葉らしいのですから、冗談みたいな話です。

正確には「長枕」だそうで、韓国では今でも「ウォンナンチム」(鴛鴦枕)といって使用しているそうです。

例えば巻11の2802「或る本の歌に曰く」と注の或る、百人一首では柿本人麻呂作とされ「あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む」とよまれている歌

足日木乃山鳥之尾乃四垂尾乃長永夜乎一鴨将宿

は、

長枕が

ほと、まらを押す

四つ足を押す

端(ほと)えぐり行かむ

たて続きに行きて

相見て夜を明かさむ

という意味になるそうです。
くわしくは李寧煕氏の「枕詞の秘密」を見ていただくとして、「ひとりかも寝む」とはだいぶ違うようですね。

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参考サイト

万葉集 枕詞における用字研究「あしひきの」

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高市皇子の歌は済州語?

李寧煕氏の「日本語の真相」第九章によると、万葉集巻1の9、額田王の歌

莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣吾瀬子之射立為兼五可新

と並んで万葉集の中の最難読歌の一つと言われる、巻2の156、高市皇子(たけちのみこ)の歌

三諸之神之神須疑具耳矣自得見監乍共不寝夜叙多

は、全文済州島の言葉で書かれているらしい。

李寧煕氏によると「神之神」は「カシガ」と読んで「行かれるのですね」という意味になるということ。現在の済州島方言では「ガスガ」。1300年の間に「カシガ」が「ガスガ」になっただけでほとんど変化が見られない。済州島は孤立した島なので言葉もよく保存されているようなのである。

歌全体の古代朝鮮語(済州語)による解読は、

三諸之(ミモロシ)

神之神 (カシガ

須疑(スギ)

巳具耳(ペアグニ)

矣自(ウィジャ)

得見監乍(ドミガサ)

(キョオン)

不寝夜叙多(アニシヨソダ)

で、

お墓の土が涸いています

行かれるのですね、貴女は

すぐまたお遭いできるよう

お祈りしましょう

毒を飲ませ

とうとう

行かせてしまいました

という意味になるらしい。

詳しくは本書をご覧下さい。

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ニュース

済州語ユネスコ消滅危機言語登録

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万葉集は開かれた古墳

万葉集は一つの巨大な古墳とも言えるだろうし、4516もの大小さまざまな古墳を含む古墳群とも言えるだろう。

従来の万葉集の解読は、いわば古墳を外から眺めただけの解釈である。それを李寧煕氏はシャベルを持って発掘してみたのである。

そこに李寧煕氏は、石室だの、壁画だの、数々の埋葬品だの見つけてしまった。それらについての解釈は必ずしも李寧煕氏が正しいとは言えないかもしれない。しかし多くの人は、宮内庁でもあるまいに、古墳を発掘したことに文句を言って、昔から伝えられている通りそれらを仁徳天皇陵だの、応神天皇陵だのと言っている。

万葉集は開かれた古墳である。誰が発掘してもかまわない。
発掘の方法はすでに李寧煕氏が説明している。

そろそろ他の人たちも万葉集の古代朝鮮語による発掘調査に乗り出してはいかがだろう?

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もう少し謙虚に

万葉集が朝鮮語で書かれているという説に対して反対する人の意見を見てみると、もちろんもっともだと思うこともあるものの、どうしてああも感情的になるのだろうか。一般人ならともかく、中にはちゃんとした学者もいるのだ。正直理解できない。

天文学者カール・セーガンはその著「コスモス」の中で、ヴェリコフスキー事件というものに触れています。ヴェリコフスキー事件というのはアメリカのヴェリコフスキーという精神科医が1950年に「衝突する宇宙」という本の中で「比較的最近、木星の中から惑星が飛び出して火星や地球に接近した後金星になった。それまで金星はなかった」という説を発表して大騒ぎになった事件です。

このような、今日的にはまったく荒唐無稽な説に対してさえセーガン氏は

「ヴェリコフスキー事件のよくない点は、彼の仮説が間違っているとか、確立された事実に反しているとか言うことではなく、科学者と自称する人たちが、ヴェリコフスキーの研究を抑圧しようとしたことだ。

科学は自由な研究によって進歩して来たし、自由な研究のために存在する。どんなに奇妙な仮説でも、その長所を考えてみよう、というのが科学である。 不快な考えを抑圧することは、宗教や政治の世界にはよくあることかもしれないが、そのようなことは知識を求める人たちのすべきことではない。科学の研究にとっては、あってはならないことである。 誰が基本的に新しいことを考え付くかは、前もっては知り難いのである。

と言っています。しかもセーガンはヴェリコフスキー説を批判する立場にあった人だったということを知っておく必要があるでしょう。

さて「もう一つの万葉集」は「衝突する宇宙」なのか、それとも、、、

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万葉集は古代朝鮮語で書かれている

久しぶりに「もう一つの万葉集」や「枕詞の秘密」「天武と持統」「日本語の真相」、および手持ちの「記紀・万葉の解読通信」30冊ほどを読み返してみたが、細部に疑問は多々あるものの、万葉集が古代朝鮮語(百済語、高句麗語、新羅語など)で書かれているという李寧煕(イ・ヨンヒ)氏の説は、基本的に正しいという思いを深めてしまう。

李寧煕説に対する反論でよく目にするのが、「資料が少ないため、古代朝鮮語はほとんどわかっていない。従って万葉集を古代朝鮮語で読むことはできない。」というものだが、万葉集が古代朝鮮語で書かれているならば、万葉集そのものが古代朝鮮語の、それも豊富な資料となるということを見逃している。

また、平安時代に最初に万葉集を解読した学者達(源順など)は多分当時(万葉集の歌が読まれたころより200年から400年も後)の「現代日本語」で解読したのだろうから、方法に問題があると批判されるべきではないだろうか?

もう少し柔軟に万葉集古代朝鮮語説について考えてみたらどうだろう?

一つ注目すべきことは、万葉集の従来の解読では「将見」とか「不相」などは、漢文でないにもかかわらず、「みむ」「あわず」などと漢文のように字の順序をひっくり返して読んでいるのに対し、李寧煕氏は一貫してこれらを語順どおり「マジャバ」「プルサン」などと読んでいる。このことは、私にとって李寧煕氏の解読を信用させる根拠の一つになっている。

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